「わたしは生きていける」から始まる戦争映画の世界

戦争と言う物は私たちにとって過去の出来事ではありません。今も確かにそれは世界中に存在していて、また日本でも引き起こる確率のある普遍的な脅威となっていると私は思います。本作品「わたしは生きていける」は戦争というモチーフの中で生きていく子ども達に主眼が当てられた、戦争映画というなんかよりも青春映画に近い物になってはおりますが、それでもやはり考えさせられてしまいます。このサイトではそんな「わたしは生きていける」という映画についてと、その他オススメの戦争がテーマとなっている映画について紹介していきたいと思います。

Menu

「わたしは生きていける」から始まる戦争映画の世界


 戦争と言う物は、日本人の私たちにとってはもはや過去の出来事に過ぎないのかも知れません。しかし逆に平和という物は、水や空気のように普遍的に、そして当たり前のようにあるものではありません。人類の歴史を振り返ってみると、恐ろしいことに、平和であった時代なんかよりも、戦争が続いていた歴史の方が長いのです。つまり、我々が平和について、そして戦争について様々な思考を巡らせることによって、それがいかにして引き起こりうるか、そしてどのような状況を作り出しうるのかという部分にもっともっと想像力を働かせて行かなくてはいけないということになるのです。そうです。戦争は私たちにとって過去の出来事ではありません。今も確かにそれは世界中に存在していて、また日本でも当たり前のように引き起こされる確率のある普遍的な脅威となっていると私は思います。

 そしてそれは既に引き起こっているとも言える状況に、今現在なっていると言えるのかも知れません。拉致被害や領土侵犯等、グレーゾーンの中で今もはや、戦争が引き起こっているとも言えるでしょう。

 本作品「わたしは生きていける」は戦争というモチーフの中で生きていく子ども達に主眼が当てられた、戦争映画というなんかよりも青春映画に近い物になってはおりますが、それでもやはり考えさせられてしまいます。この作品のようにわかりやすい形の戦争では無く、今今の戦争という物はもっと、巧妙に、その姿形をわかりにくくさせている感じがするのです。このサイトではそんな「わたしは生きていける」という映画についてと、その他オススメの戦争がテーマとなっている映画について、そして今現在戦争という紹介していきたいと思います。

「わたしは生きていける」について

 この作品は一般的な戦争映画とされるものとはかなり毛色が違い、どちらかというとSF色が高い作品になっています。言うなればif系SF作品ということです。しかし、とてつもなく真に迫るようそもあり、もしも第三次世界大戦が起こればどうなるのかといった物をものすごくありふれた視点から描いている作品です。

あらすじ

 出生の時に母親を亡くしていた少女デイジーは、未だ見ぬ従兄弟と出会い、一夏を過ごすために単身イギリスへ渡る事になります。これまでは複雑な家庭環境が原因で反抗的になっていた彼女は、純真無垢な従兄弟たちと接するうちに、明るさを取り戻していき、その中で長兄であるエディーと恋に落ちてしまいます。しかし、ロンドンで核爆発テロが行われた事によって、第三次世界大戦へとその自体は発展していきます。戒厳令が敷かれ、人々の中から自由という物が消え去ろうとしている中、デイジーたちも軍によって拘束され、離ればなれにされてしまいます。彼女はエディーと再会するために軍の施設を逃げ出し、荒れ果てた世界へと一歩を踏み出すのでした。

スタッフ

キャスト

感想

 PVを見た人はその不穏なヴィジュアルから、とてつもなく陰惨な映画を想像するかも知れませんが、その根底に流れるのは見捨てられた子供達の物語です。わたしは生きていけるが崩壊した世界はどうにもならない。そんな中で居場所を失った子供達が過酷なサバイバルと逃走を経験していきます。この第三次世界大戦が引き起こった事によってその自体は、もはや小さな子供達にはどうすることも出来ないほどに絶望的な状況へと変化して行ってしまいます。

 アメリカからイギリスへと訪れた少女デイジーが、他者との関係性をすべて遮断するためにヘッドフォンを付け、鼻にピアスを開け、髪の毛をブロンド色に染めている、いかにも不機嫌で不良な主人公な訳ですが、そんな彼女が父親や母親から受け取ることが出来なかった愛という物と、全く理解し合えない戦争という物がある種のメタファーとしてつながっており、子供達が住む家にいっときの自由なパラダイスが現れますが、その状況と、戒厳令の敷かれた世界というものが上手いこと対比されており、その精緻に少女の内面を描きつつも、戦争というものの根本に流れる物、そして、それによって引き起こされうる物について真摯に向き合って描いた映画でした。

 また、この映画が指し示しているもう一つの概念としては、人間は酷い状況になるまで、これまでは平然とあった日常という物がもつ幸せについて認識することが出来ないのではないかという事です。是非、この映画を見る機会があれば、そういったポイントにも着目して見てみると良いかもしれません。